メイン画像
質問と解答

よくある質問をカテゴリー別に掲載しております。

問題
「どうして?」「何?」とよく思われる知っていて損のない質問集
----- 「どうして?」「何?」とよく思われる知っていて損のない質問集【81-90】 -----

問題332. 石のお墓はいつごろから出来たの?

ベストアンサー

日本では、平安時代に仏教の伝来に伴い石工の技術も渡来人によってもたらされ、供養塔や墓石としての五輪塔、宝篋印塔、宝塔、多宝塔、層塔などが支配階級の間で出現しました。
その後、鎌倉時代~室町時代にかけて、禅宗の到来とともに位牌と戒名が中国から伝わる。その影響からか、位牌型の板碑や今日の墓石に近い角柱型のものもつくられるようになりました。
江戸時代になると檀家制度が確立し、人々に先祖に対する供養や葬儀、墓など仏事が生活の中に定着したことにより、庶民まで墓石を建立するようになりました。墓石に家紋を入れるようになったのはその頃からだそうです。

その他の解答(26件)

解答 01

一般的なお墓の形である角石型のお墓は江戸時代から普及しましたが、一般庶民が自分のお墓を持てるようになったのは江戸時代末期からといわれています。

解答 02

日本では、平安時代に仏教の伝来に伴い石工の技術も渡来人によってもたらされ、供養塔や墓石としての五輪塔、宝篋印塔、宝塔、多宝塔、層塔などが支配階級の間で出現しました。
その後、鎌倉時代~室町時代にかけて、禅宗の到来とともに位牌と戒名が中国から伝わる。その影響からか、位牌型の板碑や今日の墓石に近い角柱型のものもつくられるようになりました。
江戸時代になると檀家制度が確立し、人々に先祖に対する供養や葬儀、墓など仏事が生活の中に定着したことにより、庶民まで墓石を建立するようになりました。墓石に家紋を入れるようになったのはその頃からだそうです。

解答 03

墓石を用いたお墓が一般的になったのは江戸時代になってからのことであり、檀家制度が施行されてからのこととなります。

解答 04

一番古いお墓は3万年前に絶滅したネアンデルタール人ですが、石を抱くように埋葬されていたようです。
一般的に普及して来たのは江戸中期から末期です。
このころから死者を埋葬して、上に目印として石を置き始めました。

解答 05

大正時代から昭和時代に入ると、都市に人が集中し、従来の寺院墓地や公営墓地だけでは墓地が不足し、広大な敷地に公園墓地が出現します。現在では、民営の墓地が増え始め、屋内墓所・納骨堂・霊廟・地下式霊園などの新しい形態が登場しています。
お墓の歴史から見ると、土葬や風葬(沖縄・離島)の時代が長く、火葬が普及して遺骨を壷に入れてお墓に納めるようになったのは、実は昭和30年頃からのようです。

解答 06

現在のような「お墓」の形式が完成したのは江戸時代前半ごろからです。

解答 07

解答 08

現在の石のお墓の形態を一般的にしたのは天台宗の良源といわれています。
世界的に見て石のお墓は紀元前からみられるのですが、現代の日本のお墓の習慣の元とされているのが、天台宗良源が、自分が亡くなった後に焼骨を埋葬してそこに石を建てよと指示したことからいまの日本のお墓の形が始まったといわれています。
しかし、仏教の開祖であるお釈迦様のお墓(紀元前)も石造りの墳墓で水、エルサレムの「聖墳墓教会」というイエス・キリストのお墓と言われているものも石造りの建物です。
埋葬自体は人が人になってからずっと続いているものですし、お墓が形どられていったのは人が道具を使いだしてからだとかんがえられます。

解答 09

現在の日本のお墓の源流は、約2500年前にインドで作られた「仏舎利塔」です。現在あるような和型墓石は、江戸時代に入ってから中国から位牌型のものが伝えられたことが始まりです。洋型墓石は、明治維新以降、多くの外国人が日本に滞在するようになってから造られるようになりました。

解答 10

火葬が始まった戦後から普及し始めたとされております。

解答 11

お墓という大きい括りでいうと埋葬し土を盛る習慣は弥生時代にはありました。現在の様な家族毎に埋葬する形式が一般化し定着したのは明治に「家制度」を定着させてからでしょう。明治以前は石のお墓を作れるのはある程度富裕層のみだったと考えられます。

解答 12

日本の神話でイザナギの命とイザナミの命という2人の男女の神が日本列島を作ったという伝説があります。女の神様であるイザナミの命がなくなった時その亡骸をイザナギの命は黄泉の国(死者の国)という地下道に運び入れました。その黄泉の国から死者がこの世に出られないように洞窟の入り口に大きな岩を置きました。それを千引岩といって現在の墓石の元になったと言われています。

解答 13

江戸中期に今のようなお墓ができたと考えられています。

解答 14

新石器時代(約一万年前以降)です。

解答 15

新石器時代から金属器時代初期にかけて、特に西ヨーロッパで、埋葬された遺体の上に巨石を乗せた「支石墓」といわれる一種のお墓が建造されていました。これが一番最古ではないでしょうか。

解答 16

現在のような「お墓」の形式が完成したのは江戸時代前半ごろからです。
それ以前は、公家や大名などの偉い人でも、死んだら一族や地域の埋葬地に遺体が埋められて土饅頭状の墳丘が作られ、木製の卒塔婆や人頭大の石を上に置くぐらいで、埋葬地である狭義の「お墓」では特に何もしませんでした。その代わり、別なところに供養塔を立てたり、菩提寺的なところで供養したりしていました。時代をさかのぼるほど「穢れ」を怖れる風潮が強くなり、埋葬地はそのままのところが多く、現在ではどこに埋めたのかさえもわからない歴史上の著名人も大勢います。一般人は河原や野っぱらに遺体を捨てるか、適当に穴を掘って埋めるくらいが多かったようです。
近世になると、大名墓のように埋葬地に墓石を立ててそこを供養の地とすることがはじまり、しだいに下の階層にも広がります。一般人にもいわゆる「お墓」が建てられるようになるのは、江戸時代後期以降のようです。
今でも一部の地域では、両墓制といって遺体を埋める埋め墓と供養をする参り墓を分けて作るところが残っているそうです。

解答 17

お墓や弔うと言う文化自体は有史以前より有った為、誰が始めたかは解りませんが現在の様に個人がお墓を建て、本格的な霊園等の施設が出来始めたのは昭和に入ってからのようです。

解答 18

一般庶民に広まったのは明治以降です。

解答 19

現在のようなお墓の形式になったのは江戸時代中期ごろ始まったとされています。

解答 20

現代のような石碑を建てるお墓が建てられ始めたのは、江戸中期の頃からだと言われています。

解答 21

石のお墓は日本では、平安時代に仏教が伝来する際石工の技術ももたらされました。ただ、当時は権力や富を持つ豊かな一部の層のみがお墓を立てられたそうです。庶民が墓石を建立するようになったのは江戸時代に入ってからといわれています。

解答 22

諸説ございますが、日本神話であの世とこの世を分ける境界線として出てくる千引石というものがあり、それがお墓の起源と考えられており ます。

解答 23

現代のような碑石を建てるお墓が建てられ始めたのは、江戸中期の頃からだと言われています。

解答 24

江戸時代前半からと言われています。

解答 25

古代より日本人のお墓は権力者たちの象徴ででした。そして一般庶民がお墓を持つようになったのは江戸時代からとされています。

解答 26

今のような形は江戸時代からです。

解答 27

石のお墓が普及してきたのは江戸時代からといわれています。ただし、一般庶民が石のお墓を持てるようになったのは、江戸時代でも末期の方だと言われています。

問題335. お墓が出来る前はどうやって葬ってたの?

ベストアンサー

お墓は脈々と太古から脈々と伝わってきた、人々の祈りの造形です。
人が亡くなったらお墓を建てなければならないという法律は世界中どこにもありません。
ですが、人類は太古の時代からお墓を作り続けてきました。なぜでしょうか。
今から7万年前、ネアンデルタール人が死者に花を手向けていたことが考古学で明らかとなっています。
これがお墓作りの原点ではないでしょうか。
従ってお墓は慣習や習慣で建てるものではなく、人類の証とも言える死者への哀悼、 追憶の心、仏教でいうところの供養の心によって建てる祈りの造形なのです。

その他の解答(26件)

解答 01

現在のようなお墓の形ができる江戸時代以前は、村落共同の墓地に木製の墓標を建て土葬する、または勝手に空き地に穴を掘り土葬していたようです。

解答 02

死者を埋葬して供養することは、約50~3万年前のネアンデルタール人にその起源はあるようです。人骨と一緒に花を埋めていた痕跡が見つかっているそうです。また、お墓として供養を行う起源としては、お釈迦様が亡くなる前に「私の鎖骨は、火葬にしてストゥーパ(塔)を作り、花や香をあげ 礼拝すれば、功徳がある」と言われました。この卒塔婆(そとうば)供養がお墓の供養の 始まりと『法華経』にあります。現代のようなお墓になったのは、江戸中期頃からです。

解答 03

お墓がない時代には、時代によって、そのままその場に置いたままであったり、土を掘ってその穴に遺体を入れていたり、壺に遺体を入れていたと言われています。

解答 04

古くは土葬や風葬になりますが、衛生面の事もあり今では火葬が義務付けられています。
それでも明治23年の事ですので、まだ最近です。

解答 05

お墓は脈々と太古から脈々と伝わってきた、人々の祈りの造形です。
人が亡くなったらお墓を建てなければならないという法律は世界中どこにもありません。
ですが、人類は太古の時代からお墓を作り続けてきました。なぜでしょうか。
今から7万年前、ネアンデルタール人が死者に花を手向けていたことが考古学で明らかとなっています。
これがお墓作りの原点ではないでしょうか。
従ってお墓は慣習や習慣で建てるものではなく、人類の証とも言える死者への哀悼、 追憶の心、仏教でいうところの供養の心によって建てる祈りの造形なのです。

解答 06

土に埋めて土葬でした。

解答 07

桶に足をまげて入れる屈葬とか棺に入れるいわゆる土葬。

解答 08

石のお墓ができる前は盛土などを目印にしたようですが、古くから石で作られているため、あまり一般的ではありません。

解答 09

旧石器時代の旧人は、洞窟の中に穴を掘って遺体を埋葬し花を手向けていたとされています。縄文時代のものでは、遺体の頭に土器を被せたり、石を抱かせた状態での埋葬例も確認されています。弥生時代には、1mを越える埋葬専用の大型土器が使われていました。旧石器時代の埋葬地は場当たり的であったのに対し、縄文・弥生時代には土壙に集められていたようです。

解答 10

土へ埋めていたと思います。

解答 11

ネアンデルタール人(約6万年前)にはすでに遺体の横に花を添えていた痕跡があります。現在のような仏式やその他の宗派の様な儀式はなくともねあんでーるタール人独特の埋葬方法を行っていたでしょう。日本では縄文時代には土葬の習慣はあったようです。

解答 12

主には土葬ですが国によっては鳥葬などの風習もあるようです。

解答 13

海や山など自然に還す自然葬がなされていました。

解答 14

14世紀頃までは風葬が主でしたので山野や河原に捨てて朽ちるままにして野犬やカラスに食べさせていました。

解答 15

もともと遺体は土に葬られていました。それに土を盛り上げた墳丘がお墓といえばお墓です。なので、お墓ができる前は土に埋められていたということになります。

解答 16

今から7万年前、ネアンデルタール人が死者に花を手向けていたことが考古学で明らかとなっています。 これがお墓作りの原点ではないでしょうか。

解答 17

穴を掘って埋めたり、やはりお花等を供えていたようです。

解答 18

河原や道端に遺棄されたり集落内や貝塚などに墓域が設けられ土葬をしていました。

解答 19

人の死は穢れたものと考えられ、人里離れた場所に土葬していました。

解答 20

ただ土に埋めていたようです。

解答 21

約6万年前にネアンデルタール人が行っていたのが最も古いと言われています。イラク北部の洞窟内で骨と一緒に花が添えられていた痕跡が発見されました。日本でといいますと、こちらは縄文時代の頃と言われています。当時は土葬が主流で穴に入るように遺体を曲げて入れ埋葬していたようです。

解答 22

ご遺体を土に埋め、お花を添えられていたようです。

解答 23

土葬されていました。

解答 24

お墓の文化が出来るようになったのは定住した弥生時代からで、その以前の縄文時代は土に屈折したまま埋めるだけだったと考えられています。

解答 25

土葬で墓標を建てていました。

解答 26

土に埋めて埋葬していました。

解答 27

お墓が出来る前でも、火葬し土に埋葬していたとの事ですが、土葬も少なくはなかった様です。

問題337. お墓の写真を撮ったりするのはダメなの?

ベストアンサー

ふざけた物や、そこに眠る方々を冒涜するもので無いなら大丈夫だと思います。

その他の解答(26件)

解答 01

お墓はいわば故人の家ですので、写真を撮ってもかまわないと思われます。おふざけで撮影するのはよくないですが、お参りしている姿や、家族や親せきが揃っている写真を撮るのは問題ないのではないでしょうか。

解答 02

そのようなことはありません。お墓が完成したときの喜びのお顔や、ご法要の際にご親類が集まって故人様のご供養が滞りなく終えられた安心したお顔など、皆様の笑顔の写真をお墓と一緒にたくさん撮られています。

解答 03

いいえ。ダメではありません。

解答 04

駄目と聞いた事はありません。
お開眼式などは記念にご家族でお写真を撮られる風景は良くお見掛けします。
もし、写真を撮るのであれば正面ではなく斜めからをお勧めします。
正面は自分が反射して映り込みます。

解答 05

お写真を撮っていただいて構いません。

解答 06

特に問題はございません。

解答 07

ダメではないです。

解答 08

問題ありません。

解答 09

全く問題ありません。お墓はご先祖様を含め、家族の集まる場所です。中には、盆、彼岸のお墓参りでしか顔を見れない親族もいるでしょう。家族が集まる思い出の一コマとして写真撮影される姿を見ると、ご先祖様も喜ばれると思います。

解答 10

ダメなことはありません。

解答 11

大丈夫です。

解答 12

死者の眠る場所なので躊躇しがちですが興味本位やふざけ半分でなければ失礼には当たらないのではないのでしょうか。

解答 13

特に構いません。

解答 14

ご自身のお気持ちですので決まりはございません。

解答 15

お墓の写真を撮ること自体は問題ないです。ただし、不謹慎な写真を撮ったり、無断で他家のお墓の写真をSNSなどに利用したりするのはやめなければいけません。

解答 16

僕らは毎日撮ってますが迷信ではないでしょうか。

解答 17

ふざけた物や、そこに眠る方々を冒涜するもので無いなら大丈夫だと思います。

解答 18

お写真を撮っていただいても大丈夫です。

解答 19

写真を撮ることが悪いとはされていません。ただ周りの人が映り込むことを嫌がられる可能性は考慮するべきでしょう。

解答 20

オッケーです。

解答 21

興味本位での撮影はおやめください。そうではなく、自身がおまいりに来られた写真を撮影する分には問題ありません。

解答 22

いえ、取っていただいても大丈夫です。

解答 23

問題ありません。

解答 24

構いません、家族写真など記念日に撮られる方も多いです。

解答 25

大丈夫です。法要の時によく写真を撮られています。

解答 26

写真を撮っていただいてもけっこうです。

解答 27

写真を撮る事は特に問題ありませんが、マナーを守っていただければ良いと思います。

問題339. お墓と仏壇、どちらかがあればいいの?

ベストアンサー

どちらも必要です。
お仏壇は故人様に手を合わせる場所ではなく、ご本尊様に手を合わせる場所です。
真言宗であれば大日如来・浄土宗なら阿弥陀如来です。
お仏壇で、お題目を唱えご本尊様にご先祖様の冥福をお祈りします。
お墓はお骨を納める場所ですので、皆様でお墓参りに来て故人様と語らう場所になります。

その他の解答(26件)

解答 01

仏壇には仏様が、お墓にはご先祖様がいると考えられています。人には拠り所が必要と考えられます。それがお墓参りであったり、仏壇に毎日手を合わせたりするものであるならば、両方必要なものなのではないでしょうか。

解答 02

お墓はご遺骨を納めて故人様の供養を行いますので、どのような形式でも必ず必要です。仏壇は故人様のお位牌を納めて供養しますが、大きく違うのはご本尊様を一緒にお祀りすることです。お墓よりも身近にご先祖様の供養を行うとともに、家庭内で供養の大切さや家族の大切さを育んでいただくのが仏壇になるようです。そういう意味では両方ある方が理想かもしれません。

解答 03

特に決まりないですが、ご先祖様や故人様をご供養されるお気持ちがおありであれば、どちらもされるといいでしょう。お墓は遺骨を納骨して、ご先祖様や故人様をお祀りしてご供養するためのものと言えます。
一方、仏壇の本来の意味は本尊を祀るためのものです。したがって、仏壇は、いわば各家庭に設けられたミニチュアのお寺と考えると分かりやすいかもしれません。よって、仏壇に毎日お参りすると、お寺に毎日参拝しているのと同じ意味になります。
しかしながら、仏壇にお参りするとき、本尊にお参りしているという意識を持つ人は少なく、故人の冥福を祈っているのだと考える人が圧倒的に多いのではないでしょうか。すると、各個人がしている行為としては、お墓と仏壇の意味は、ご先祖様や故人様をご供養するという意味では全く同じだとも言えます。

解答 04

どちらも必要です。
お仏壇は故人様に手を合わせる場所ではなく、ご本尊様に手を合わせる場所です。
真言宗であれば大日如来・浄土宗なら阿弥陀如来です。
お仏壇で、お題目を唱えご本尊様にご先祖様の冥福をお祈りします。
お墓はお骨を納める場所ですので、皆様でお墓参りに来て故人様と語らう場所になります。

解答 05

どちらもご用意されるほうがいいと思います。

解答 06

両方あるのがよいと思います。

解答 07

お墓。

解答 08

お参りする対象の違いとお参りされる対象の違うので両方必要です。
本来「お仏壇」とは「仏様」をお祀りするところであり、遺骨を納めるところではありません。ここまではどなたでもご理解いただけると思います。
しかし、この「仏様」とは「亡くなられた方」ではなく「釈迦如来」や「大日如来」「阿弥陀如来」が中心となります。そのため、お仏壇の中心は「○○家」ではなく、「ご本尊」が必ずかけられています。神棚を考えていただければわかると思いますが、神棚は「神様」を中心に、お仏壇のお参りの中心は「如来」になります。それに対しお墓は「亡くなられた方」が中心になります。ですので石塔には「○○家之墓」となります。もちろん正面に「南無阿弥陀仏」と彫る地域もあります。またお仏壇にもお位牌を置く為、ご先祖をお祀りすることも大切なことです。
そもそもお寺(こちらももちろん「ご本尊」がお祀りされています)も、お釈迦様のご遺骨があるといわれている五重塔などがあるため、お寺やお仏壇、お墓の意味(役割)はそれぞれ重なり合いながら、ゆるやかに役割が変化しています。お寺にもお墓の意味を持っているものもありますし、お墓も本尊をまつってあります。
どなたを想像しやすいかによって、役割を考えていただいたらいいかと思います。
またお参りされる方(こちら側)の対象の違いはというと、お仏壇はその家の方がお参りする中心になり、あまり友人や上司の仏壇におまいりするとなると、家人の許可もいる為、やはりお墓が必要になります。親戚友人の方が「亡くなられた方」にお会いしに行くために「お墓」はいつでもお参りできるように「外」にあります。また、遺骨を納められるというのもお墓の大切な役割になります。そして、お墓に刻まれた「名前」をみて、亡くなられた方にいつでもお会いできる。それが血縁にとらわれず、友人・恩師・お世話になった方などにいつでも会いに行ける、イメージできる場所というのが、お墓の大切な役割ではないでしょうか。
(下記にお墓やお寺の役割を一覧にしてみましたのでご参考ください)

本山(本願寺や永平寺など本社のようなもの)
お参りの対象「ご本尊」より近い、「宗祖」(親鸞や道元)最も近い、「ご先祖」遠い、「参拝対象」全国の檀信徒僧侶

別院(名古屋別院・東京別院など支社のようなもの)
「ご本尊」より近い、「宗祖」近い、「ご先祖」やや遠い、「参拝対象」広い範囲のその地域(市や県)の檀信徒僧侶

末寺(皆様が檀家になっているお寺、支店のようなもの)
「ご本尊」最も近い、「宗祖」祀り方による、「ご先祖」やや近い、「参拝対象」狭い範囲のその地域(町や村)の檀信徒

仏壇「ご本尊」より近い(はず)
「宗祖」近い(はず)「ご先祖」家族にとってより近い「参拝対象」家族

お墓
「ご本尊」祀り方にもよるがあまり近くない「宗祖」遠い「ご先祖」最も近い「参拝対象」亡くなられたかたを思うすべての人(宗旨問わず)

解答 09

お墓は亡くなったご家族やご先祖様をお納めし、代々供養していくためのものです。お墓を建てるということは、あの世における終の棲家を確保することです。お墓の本質は、ご先祖様とお話できる大切な場所であり、代々続くご家族のつながりを確認できる場所です。
一方、お仏壇は、文字通り仏像や仏具を飾り、仏様を祀る台のことです。ご家庭のお仏壇は、寺院にあるお仏壇(内陣)を小型にしたもので、家の中のお寺のような存在です。このように、お墓とお仏壇は全く別物ですので、両方とも必要なものとなります。

解答 10

お仏壇は仏様を供養する、お墓はご先祖様をお祀りするなので両方あった方が良いと思います。

解答 11

仏壇は仏様をお祀りするもの、お墓はご先祖様や亡くなられたご家族を供養するもの。どちらかがどちらかの代替えではないので可能ならば両方あるほうが手厚いご供養かもしれません。

解答 12

お墓は仏様でお仏壇は家の中のお寺という意味合いになりますが絶対に必要という事ではありません。どちらか一方しかお持ちでない方もたくさんいらっしゃいます。亡き人を偲ぶためにもどちらかはあった方が良いかもしれませんし両方あれば毎日亡き人の事を偲ぶことができます。

解答 13

仏壇は仏様をお祀りするところでお墓は先祖のご遺骨を埋葬してお祀りするところです。

解答 14

両方あるのがいいと思われます。

解答 15

簡単に言うと、お仏壇はその宗教の「ご本尊」を一番上に拝し、ご本尊様にご先祖様を見守っていただけるようお願いするようになっています。お墓には、ご本尊様をお祀りするようになってはおらず、あくまでもご先祖様が入られております。それぞれ役割が異なります。また、お墓がないとお骨の納める先がなく困ってしまいます。

解答 16

お墓は死者を祀るところですが、お仏壇は仏様その宗派のご本尊を祀るものなので意味合いが違いますね。親が亡くなって初めて仏教に触れる方も少なくないと思います。最近では分家初代でうちが何宗のなのかわからない方もいます。葬儀屋さんに紹介されたお寺さんの宗派にある方もいらっしゃいます。なのでお墓とお仏壇は同じようで別なのです。

解答 17

どちらが有ろうと無かろうと大切ななのはご先祖様への感謝の気持ちと御参りをさせて頂く心だと思います。

解答 18

必ずしも両方必要とは限りません。故人の供養の方法で決めればよい。

解答 19

お墓は遺骨を祀る。仏壇は位牌を祀り仏様も祀るという意味のものですから必要に応じて購入下さい。

解答 20

どちらも必ずしも必要ではありません。

解答 21

お墓はご先祖様が葬られており、仏壇は仏様が祭られています。仏様にご先祖様のことをお願いするときには仏壇に、なくなったご先祖様に会いに行くときにはお墓に行くことになります。

解答 22

仏壇はご本尊をお祀りするもの、お墓はご遺骨をお祀りするもので、どっちもまたはどちらかというのは決まっておりません。ご本人様のお考えによるかと思います。

解答 23

お墓は遺骨(故人)を土に還す場所、仏壇はご本尊(仏様)を拝む場所とされています。つまり仏壇とお墓は、本質的に、似て非なる物です。仏壇に故人は存在しませんので、先祖の供養を行う場合は、お墓参りをするのが正当な方法といえます。

解答 24

そういうものではありません。

解答 25

どちらも必要です。お墓は、遺骨を埋葬し、お骨を土に還すという意味が込められているため。人の死も自然の営みの一部ととらえ、土に還すことで安らかな眠りを与えてあげるという願いが込められています。仏壇は位牌を納めます。また位牌だけでなく仏様をまつるのも特徴のひとつです。

解答 26

お骨を納めるお墓と、位牌がある仏壇の両方あるのが望ましいです。

解答 27

お墓もお仏壇も、故人を供養するためも物なのですが、お墓はお骨をお土に還す意味も含まれています。土に還すことで安らかな眠りを与えると言う願いが込められています。また仏壇は家の中でお骨や位牌をまつります。仏様を仏壇でまつる理由としては、仏様の弟子となって、「故人や先祖が成仏するように」との願いが込められています。

問題344. お墓に入った御骨は土になるのにどれくらいかかるの?

ベストアンサー

一概には言えませんが、土に埋められた状態で50年以上はかかるかと思います。
土葬のご遺体が100年以上たっていても、まるまるお骨がある状態だった事例もあるようです。土にどの程度触れているか、土壌が酸性かアルカリ性かでも違ってくるようです。
TVなどで見る1000年も前のミイラが土に触れていないせいで、きれいに残っているのもその例です。
また最近の焼骨方法が高温で一気に行うため、骨のカルシウムがセラミック化して分解されにくいとも言われています。

その他の解答(26件)

解答 01

数十年はかかるとおもわれます。

解答 02

一概には言えませんが、土に埋められた状態で50年以上はかかるかと思います。
土葬のご遺体が100年以上たっていても、まるまるお骨がある状態だった事例もあるようです。土にどの程度触れているか、土壌が酸性かアルカリ性かでも違ってくるようです。
TVなどで見る1000年も前のミイラが土に触れていないせいで、きれいに残っているのもその例です。
また最近の焼骨方法が高温で一気に行うため、骨のカルシウムがセラミック化して分解されにくいとも言われています。

解答 03

納骨室の状態にもよりますが、数年ということはなく、何十年という単位の年月と言えます。

解答 04

土壌により異なりますが、30年~50年ぐらいではないでしょうか。

解答 05

環境にもよりますが土に混ざった状態のままだと思われます。

解答 06

カロートの状況により変わります。

解答 07

土に還しても大分残る。

解答 08

およそ50年と言われています。

解答 09

土壌などの環境が大きく影響するようですが、日本では数十年から百年で土へ還ると言われています。

解答 10

お骨の状態によりますが数十年~100年とされております

解答 11

焼骨にかんしては壺のまま納めるか、出して納めるかで違います。出して納める方が還りが早いです。また土壌の性質によっても違います。酸性の土壌の方が還りが早いと聞きます。いづれの場合も数十年はかかります。

解答 12

15年~20年ぐらいです。

解答 13

50年ぐらいかかると言われています。

解答 14

納骨室の状況によりますが、完全にお土になるにはかなりの年月がかかります。

解答 15

状況や環境によりますが、数十年ほどしたら土に還っていくそうです。

解答 16

約50年と思いますが、100年かもしれません。状態にもよりますかね。

解答 17

気候や風土にもよりますが焼骨で約50年前後、土葬であればその倍以上と言われています。

解答 18

だいたい15年から30年と言われております。

解答 19

その土の質や環境などによりますが数十年から10年以上かかることもあると言われています。

解答 20

実際にご遺骨が土に還る場合にはかなりの年数が必要で、場合によっては100年以上前のご遺骨が残っていることもあるようです。現在ではかなり少なくなった土葬ですが、100年以上前に土葬されたご遺体の髪の毛や皮膚が残されている事案も少なくありません。また骨壺に入ったままですと数百年は残ってしまうようです。

解答 21

火葬したご遺骨をお墓の中の土に撒いて埋蔵した場合、数十年経っても残っていることは一般的とされています。

解答 22

正確な年数は分かりませんが数十年以上かかるのではないでしょうか。

解答 23

30年ほどかかると言われています。

解答 24

最近は、火葬の技術が発達しセラミック化され、本当の土にはならないようです。

解答 25

環境によって違いますが、早くて二十年くらいはかかるでしょう。

解答 26

火葬の火力によって違いがありますが、およそ20~30年です。早い場合でしたら10年未満でお土に還ります。

解答 27

住職がよく言われるのは50年とおっしゃいます。個人差はありますし、雨水でお骨が浸かる回数が多いほどお土に還る早さが変わると言われています。

問題345. お盆の起源は?

ベストアンサー

お盆の始まりはインド語のサンスクリット語、ウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写した物で、「盂蘭盆会」これがお盆の正式名です。
盂蘭盆会には逆さ刷りにされる様な苦しみを取り除くと言う意味があり盂蘭盆経の中に由来となったエピソードがございます。

お釈迦様の弟子の中で、神通第一とされている目連様が、ある時、神通力によって亡き母がなんと餓鬼道に落ちて逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。ビックリした目連様はどうしたら母親を救えるのか、お釈迦様に相談しにいきました。するとお釈迦様は、「お前が多くの人に施しをすれば母親は救われる」と言われました。そこで、目連様はお釈迦様の教えにしたがい、90日間の修行を終えた僧たちが7月15日に集まるので、飲食物をささげて多くの僧におもてなしを行いました。そうとすると、その功徳によって母親は、餓鬼の苦しみから救われました。

この7月15日(旧暦)がお盆の始まりとされ、今でもお盆にはお供え物を用意し供養をすることで功徳が得られるとされています。

その他の解答(26件)

解答 01

お盆は盂蘭盆経(うらぼんきょう)というお経に由来があるといわれ、盂蘭盆経では目連尊者(もくれんそんじゃ)というお釈迦様の弟子が神通力によって亡き母が地獄に落ちて苦しんでるのを知り、母を助けれないかとお釈迦様に尋ねると、多くの人に施しをし供養しなさい。そうすれば母親を三途の苦しみから救えるでしょうとお言葉をいただきました。
そして夏の修業期間のあける旧暦の7月15日に修行を終えた僧侶たちに飲食物をささげて心から供養すると、その功徳にって母は無事往生できたといわれています。そうして精霊を供養するお盆が生まれたとされています。

解答 02

お盆は盂蘭盆会といい、8月13日~16日(地域によって7月13日~16日)に行います。13日に迎え火を炊きご先祖様を自宅に迎え、様々なお供物を用いてご供養し、16日の送り火で送ります。精霊棚を用意したり、精霊流しといったものも行われます。起源は目連の亡き母が餓鬼道に落ちた母を救うためにたくさんの食べ物や衣服を施したことにあります。

解答 03

お盆は、日本では古神道において、先祖供養やそれにまつわる神事が行われていたと言われています。

解答 04

お盆の始まりはインド語のサンスクリット語、ウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写した物で、「盂蘭盆会」これがお盆の正式名です。
盂蘭盆会には逆さ刷りにされる様な苦しみを取り除くと言う意味があり盂蘭盆経の中に由来となったエピソードがございます。

お釈迦様の弟子の中で、神通第一とされている目連様が、ある時、神通力によって亡き母がなんと餓鬼道に落ちて逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。ビックリした目連様はどうしたら母親を救えるのか、お釈迦様に相談しにいきました。するとお釈迦様は、「お前が多くの人に施しをすれば母親は救われる」と言われました。そこで、目連様はお釈迦様の教えにしたがい、90日間の修行を終えた僧たちが7月15日に集まるので、飲食物をささげて多くの僧におもてなしを行いました。そうとすると、その功徳によって母親は、餓鬼の苦しみから救われました。

この7月15日(旧暦)がお盆の始まりとされ、今でもお盆にはお供え物を用意し供養をすることで功徳が得られるとされています。

解答 05

お盆とはずばり古来からある日本文化(檀家制度などと)と仏教の教えが混ざり合い融合(習合・シュウゴウ)し生まれた、日本独特な行事です。
お盆の期間中、先祖様をあの世から家へお迎えし、もてなし、供養し、またあの世へお送りします。
お彼岸とは日本独特の風習で、お盆と同じく ずばり先祖を敬う行事です。年に2回、春分の日と秋分の日の前後3日、合計7日間を「お彼岸」と称し行われ、此岸(シガン・こちらの世界)から彼岸(極楽浄土・悟りの地)へ行けますようにと願います。
お盆とは違いお彼岸は、祖先に家へお越し頂くのではなく、こちらから近くへお伺いするイメージです。

解答 06

盆の概念は日本全国に広まっているため、その行事の内容や風習は地方それぞれにさまざまな様式がある。

解答 07

盂蘭盆会。

解答 08

亡くなられた方を想う期間に現在ではなっていますが、仏教経典に出てくるもので、修行期間であったようです。
お盆とはもともと「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」のお話がもとになっています。
あらすじはお釈迦様の弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)が神通力を使い、亡くなった母親が餓鬼道に落ちているのを知り、お釈迦様にどうすればよいか尋ねると安居の期間に比丘(僧侶)に食べ物を施しなさいと言われ、言われたようにすると母親が上の苦しみから救われたというものから「盂蘭盆会」となり今のお盆となったといわれています。(ただし「盂蘭盆経」は研究の結果中国で成立した「偽経」ともいわれています。)ですから、禅宗で用いられる塔婆を見ますと「施餓鬼会」と書かれています。また経典に出てくるこの期間は「安居期」とされていて、当時のインドの修行僧は雨期には移動(遊行)せず一つの場所にとどまり(安居)修行されたとされています。

解答 09

お盆のことを正しくは「盂蘭盆会」と言います。盂蘭盆はサンスクリット語のウランパナの音写で「倒懸」を意味します。お盆の起源は、古くインドで、釈尊の十大弟子である目連という人が、餓鬼道に落ちて苦しむ母を助けるために、安居明けの僧侶に飲食を提供し、功徳を得ることで母を救ったというエピソードが起源だと言われています。

解答 10

あの世から仏様が帰って来られるとされております。

解答 11

お釈迦さまの弟子の目連尊者が餓鬼道母を救う話に由来しています。目連尊者が、夏の修業期間のあける7月15日に多くの僧たちに飲食物をささげて供養したところ、彼の母親は極楽往生が遂げられたというお話から、旧暦7月15日に、仏様や先祖の恩に感謝し,お墓参りや迎え火などをする行事が始まったとされています。

解答 12

仏教用語の盂蘭盆会の省略形で祖先の霊が子孫の元を訪れて交流する行事があり夏に行う仏教の行事としての風習が確立されたと考えられている。

解答 13

仏説盂蘭盆教に書いてあります。

解答 14

お盆の明確な起源はわかりませんが、日本では8世紀頃夏に先祖供養を行う風習が確立されたと考えられています。

解答 15

お盆は、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略で、サンスクリッド語の「ウランバナ」が語源です。中国ではもともと安居(僧侶が集団で行なう修行)が終わった日に、人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて、祖先の霊を供養し、施餓鬼を行なうようになっていきました。
日本では、657年に須弥山の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたという記述があり、659年には京都のいくつかのお寺で『盂蘭盆経』を講じたと記録されているそうです。また、733年には盂蘭盆供養が宮中で行なわれ、以後は宮中の恒例の仏事となって毎年7月14日(陰暦)に開催し、孟蘭盆供養、盂蘭盆供と呼ばれたとあります。
奈良・平安時代には毎年7月15日に公事として行なわれ続け、鎌倉時代からは「施餓鬼会」(せがきえ)もあわせて行なうようになったのだそうです。

解答 16

仏教では、お釈迦様のお弟子様である目連様の母親が餓鬼道に落ちた時、お釈迦様の教えに従って多くの高僧たちに供養し、母を救ったことからはじめられたもので、仏様や先祖の恩に感謝し、お墓参りや迎え火などをする行事なのです。
また、お盆の歴史は古く、日本行われたのは、朝廷の時代で推古天皇(606年)十四年七月十五日斎会を設けたのが初めてとされ、斎明天皇(657年)三年七月十五日飛鳥寺で盂蘭盆会が催されたとあります。
その後、お盆行事は武家・貴族・僧侶・など宮廷の上層階級で主に催され、一般庶民に広まったのは江戸時代のようです。江戸時代に入ると庶民の間にも仏壇やお盆行事が普及し、又、ローソクが大量生産によって安価に入手できるようになってから提灯がお盆にも広く用いられるようになりました。

解答 17

盂蘭盆会と言ってお釈迦様の弟子が自分を可愛がってくれた母親が死後、どんなに素晴らしい場所に行っているかと、得意の神通力で覗いてみると、見るも無残な姿で苦しんでいました、彼はその事をお釈迦様に相談した所、「お前の母親は良い母親で居たいあまりに周りに感謝をせずに生きてきた為苦しんでいる、その分をお前が周りへの感謝を行えば母親を苦しみから救う事が出来る」と言われました、それ以来彼は、自分以外の先祖や霊に対しても供養を行ったというのが起源とされています。

解答 18

お盆は盂蘭盆会(うらぼんえ)音写語と言われています。

解答 19

お盆の起源はお釈迦様が色々な食べ物や飲み物を皆に振る舞い供養することで、そのご先祖も苦しみなどから解放され、同時に現世で生きている人々にも幸せが訪れると説いたことが始まりといわれています。

解答 20

お盆は、ご先祖さまが帰ってくる日でご先祖さまをお墓参りを通じて敬う日
盆の期間中、先祖様をあの世から家へお迎えし、もてなし、供養し、またあの世へと送ります。

解答 21

お盆は仏教における盂蘭盆会(うらぼんえ)、又は盂蘭盆(うらぼん)を略した言葉とされています。お釈迦様のお弟子である目連の母親が餓鬼道に落ちた際、お釈迦様の教えに従って多くの高僧が供養し母を救ったことからはじめられたもので、西暦657年7月15日に飛鳥寺で盂蘭盆会が催されたそうです。

解答 22

正式には盂蘭盆会といい、お釈迦様のお弟子さんのお母さんを助ける為に説かれた教えが起源となっております。

解答 23

仏教では、お釈迦様のお弟子様である目連様の母親が餓鬼道に落ちた時、お釈迦様の教えに従って多くの高僧たちに供養し、母を救ったことからはじめられたもので、仏様や先祖の恩に感謝し、お墓参りや迎え火などをする行事なのです。

解答 24

仏教用語の盂蘭盆会から来ています。

解答 25

お盆は旧暦7月15日で、釈迦の弟子が地獄に堕ちた母親を救うために供養した日が由来とされています。

解答 26

お盆は旧暦7月15日で、釈迦の弟子が地獄に堕ちた母親を救うために供養した日が由来とされています。

解答 27

お盆にお参りをするのは、8月13日に迎え火をしてお盆が始まり、同月16日に送り火を炊いてお盆が終わります。、仏教的な考えにはなりますが、先祖はお墓にじっとしているものではないので、お盆のお墓参りは先祖に手を合わせに行くだけではなく、行くことに意味がある、と言うことです。

問題346. 御彼岸の起源は?

ベストアンサー

お彼岸は諸説ありますが「観無量寿経」にのっとっているのではないかと言われています。
お彼岸の言葉自体は極楽浄土の事を指します。一般的に仏様のいる世界。いわゆるあの世の事になります。反対に「この世」の事を「穢土」「此岸」といいます。
お彼岸のお参りの起源は「観無量寿経」の「日想観」によるといわれています。
「観無量寿経」のざっくりとしたあらすじは、お釈迦様に救いを求めた韋提希(いだいけ)に対し、お釈迦様は様々な仏様の浄土をみせます。その中で韋提希は「阿弥陀佛の極楽浄土」を選びます。そして韋提希が「私はお釈迦様の力で極楽浄土が見れましたけど、お釈迦様が亡くなられた後はどうしたらよいのでしょう」と尋ねます。それに対し「西に向きて日没を見て心を定めよ」と極楽浄土を観察(かんざつ)される方法を最初にあげられました(このあと何種類も方法があります)。この観無量寿経の主旨は阿弥陀仏(別名「無量寿佛」)の浄土を観察する方法を説いたものになります。
これがもととなり太陽が真西に沈む春分の日と秋分の日を修行期間とされ、「彼岸」を想うことが亡くなられた方を想うことにつながり、お墓参りが一般的になったと考えられます。

その他の解答(26件)

解答 01

お彼岸という名前は、仏教では向こう岸という意味で、三途の川を挟んだ向こう側、つまりあの世を指します。彼岸は西の彼方にあるとされ、春分の日と秋分の日には太陽が真東から昇り真西に沈みます。昼と夜の長さがほぼ同じになるので、あの世とこの世が最も通じやすくなると考えられたためご先祖様を供養するようになりました。お彼岸は日本固有の行事です。

解答 02

お彼岸は春分の日・秋分の日の前後3日を彼岸といい、そのの間に行われる法要を彼岸会といいます。日本独自の行事で、この世(此岸)と川を挟んだ向こうの死後の世(彼岸)があり、亡くなった方が彼岸へたどり着き成仏することを願う行事です。
春分と秋分の日は昼夜の長さが同じになります。また、暑くも寒くもないほどほどの季節であり、太陽が真西に沈む時期なので西方極楽浄土におられる阿弥陀仏を礼拝するのにふさわしいという考えから、次第に人々の生活に浄土をしのぶ日、またあの世にいる祖先をしのぶ日として定着していったようです。

解答 03

お彼岸の起源は奈良時代、非業の死を遂げた崇道天皇(早良親王)の御霊を鎮めるため、全国の国分寺の僧に、七日間読経するように、とのお達しがあったことが日本後記に記されています。

解答 04

お彼岸の起源は奈良時代、崇道天皇の御霊を鎮めるため、全国の国分寺の僧に七日間読経するように、とのお達しがあったことが日本後記に記されていて、それが起源だという説があります。

解答 05

お盆とはずばり古来からある日本文化(檀家制度などと)と仏教の教えが混ざり合い融合(習合・シュウゴウ)し生まれた、日本独特な行事です。お盆の期間中、先祖様をあの世から家へお迎えし、もてなし、供養し、またあの世へお送りします。
お彼岸とは日本独特の風習で、お盆と同じく ずばり先祖を敬う行事です。年に2回、春分の日と秋分の日の前後3日、合計7日間を「お彼岸」と称し行われ、此岸(シガン・こちらの世界)から彼岸(極楽浄土・悟りの地)へ行けますようにと願います。
お盆とは違いお彼岸は、祖先に家へお越し頂くのではなく、こちらから近くへお伺いするイメージです。

解答 06

サンスクリットのpāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来する。

解答 07

https://afun7.com/archives/2801.html
※気になること、知識の泉 より

解答 08

お彼岸は諸説ありますが「観無量寿経」にのっとっているのではないかと言われています。
お彼岸の言葉自体は極楽浄土の事を指します。一般的に仏様のいる世界。いわゆるあの世の事になります。反対に「この世」の事を「穢土」「此岸」といいます。
お彼岸のお参りの起源は「観無量寿経」の「日想観」によるといわれています。
「観無量寿経」のざっくりとしたあらすじは、お釈迦様に救いを求めた韋提希(いだいけ)に対し、お釈迦様は様々な仏様の浄土をみせます。その中で韋提希は「阿弥陀佛の極楽浄土」を選びます。そして韋提希が「私はお釈迦様の力で極楽浄土が見れましたけど、お釈迦様が亡くなられた後はどうしたらよいのでしょう」と尋ねます。それに対し「西に向きて日没を見て心を定めよ」と極楽浄土を観察(かんざつ)される方法を最初にあげられました(このあと何種類も方法があります)。この観無量寿経の主旨は阿弥陀仏(別名「無量寿佛」)の浄土を観察する方法を説いたものになります。
これがもととなり太陽が真西に沈む春分の日と秋分の日を修行期間とされ、「彼岸」を想うことが亡くなられた方を想うことにつながり、お墓参りが一般的になったと考えられます。

解答 09

平安時代の朝廷ではすでに行われていたようです。仏教先進国のインドや中国にはない行事で、土着の民俗行事と習合しあって生まれた日本徳特有の仏教行事です。仏様の住む彼の岸に少しでも近づくように修行が成就することを願う日です。「彼岸(悟り)に至るための行」とされています。

解答 10

ご先祖様に感謝を行うこととされております。

解答 11

お彼岸は日本特有の仏事ですが彼岸と此岸(この世とあの世)がもっとも近づき通じやすい日になると考えます。その起源は奈良時代、崇道天皇の御霊を鎮めるため、全国の国分寺の僧に、七日間読経するようにとのお達しがあったことが日本後記に記されていて、それが起源だという説があります。

解答 12

春分と秋分は太陽が真東から昇り真西に沈むので西方に沈む太陽を礼拝し遙か彼岸の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりです。

解答 13

彼岸とは悟りの境地のことで、日本ではこの時期にお墓参りをします。

解答 14

806年日本で初めて彼岸会が行われました。

解答 15

お彼岸は日本独自の風習です。
その昔、桓武天皇の弟で早良親王という方がおられました。早良親王は「藤原種継暗殺事件」の首謀者として疑われ皇太子位を剥奪され、幽閉されてしまいます。親王は抗議のための断食を行ない、ついには餓死してしまわれました。親王が亡くなったあと、桓武天皇のまわりで次々と不幸が続き、それが早良親王の祟りとされました。桓武天皇は怨念を鎮めるため、遷都(平安京)を行ない、早良親王へ「崇道天皇」という迫号を贈りました。それだけではなく、7日間昼夜を問わずにお経(金剛般若波羅蜜経)を転読する「お彼岸」という供養を始めました。
これは記述によると、すでに806年3月には実施されており、この頃には毎年春分と秋分を中心とした前後3日間計7日間行なわれたのだそうです。それ以降恒例とするようにしたとも述べられているそうです

解答 16

彼岸(ひがん)は仏教用語です。
サンスクリット語のパーラミター(波羅蜜多)が語源とされており、パーラミターとは到彼岸、つまりは煩悩や悩みを越えて到達する悟りの境地のことを言います。
逆に、煩悩や悩みに溢れた私達が住む世界を此岸(しがん)と言い、此岸にいる者が「布施」「持戒」、「忍辱」、「精進」、「禅定」、「智慧」の6つを修業することで、彼岸に行くことができるとされています。
ちなみにこの6つの修業を『六波羅蜜』と言います。
また、仏教の西方極楽浄土の教えにより、十億万仏土先の西方には阿弥陀如来がいるとされる浄土がある、言われていることから、太陽が真東から昇って真西へ沈む春分・秋分の日を中日として前後3日計7日間を「彼岸」と呼び、この期間に修業をするのがよいとされていたのです。

解答 17

「彼岸」と言うと極楽浄土の事を表し、毎年3月と9月の季節の変わり目に彼岸に旅立たれたご先祖様に祈りを捧げ、我々もまた彼岸へ辿り着こうと言う物です。

解答 18

浄土思想でいう「極楽浄土」は西方にあり、春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土へ思いをはせたのが彼岸の始まりです。

解答 19

お彼岸の起源は、奈良時代に非業の死を遂げた崇道天皇の御霊を鎮めるため、全国の国分寺の僧に七日間読経するようにとのお達しがあったことが日本後期に記されていることが起源といわれています。

解答 20

神様の世界、「極楽浄土」が私たちの世界と一番近くなる日だと言われています。

解答 21

お彼岸の起源は奈良時代に亡くなった崇道天皇の御霊を鎮めるため全国の国分寺の僧に七日間読経するようにとのお達しがあったことが日本 後記に記されており、それが起源だという説があります。

解答 22

お彼岸は春分・秋分の日の前後3日間を期間とし、この時はご先祖様がいらっしゃる西にある彼岸と私たちのいる東にある此岸が通じやすくなると考えられ先祖供養をするようになったと考えられております。

解答 23

お彼岸は日本固有の行事で、昼と夜の長さがほぼ同じになる、春分の日と秋分の日が彼岸と此岸が通じやすくなると考えられ、ご先祖様を供養するようになりました。

解答 24

ご先祖さまのいる世界を「彼岸」、いま私たちが生きているこの世界を「此岸」といい、「彼岸」は西に、「此岸」は、東に位置するとされています。春分の日と秋分の日は、太陽が真東から登り真西に沈むので彼岸と此岸が一番通じやす日と考えられこの時期に先祖供養されることとなりました。

解答 25

日本古来の土俗的な祖霊信仰が起源と推定されています。

解答 26

彼岸は日本独自のもので、元は日本古来の土俗的な祖霊信仰が起源と推定されています。

解答 27

太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間を「彼岸」と呼び、この期間に仏様の供養をする事で極楽浄土へ行くことが出来ると考えられているので、お彼岸にお墓参りを致します。

問題347. 御戒名はなぜつけるの?

ベストアンサー

人が亡くなって仏様の国に向かうにあたり引導を授けられ、仏弟子になると言われており、御戒名はその為の名前だと言われていますが、今日では御戒名に入れられた文字でその方が生前どんなお方で有ったかが偲べるようになっております、自分のご先祖様になぜこの文字が使われているのかを考えてみるのも、そのご先祖様の事を考え、また思い出すと言う素晴らしい御供養になると思います。

その他の解答(26件)

解答 01

戒名とは、仏教において受戒した者に与えられる名前であり、仏弟子になり、戒律を守る証として与えられるものです。浄土真宗では戒律がないという考え方をしますので、法名と呼びます。

解答 02

元来は戒を受けて仏門に入った者に新たにつけられる名前です。宗派によって法名,法号とも呼ばれます。現在ではなくなった際に、葬儀の引導(いんどう)作法の中で授戒し、与える名前として認識されています。

解答 03

仏教では、戒名を付けることで成仏させることができる(浄土系では極楽浄土に行ける)といった考えがあるからです。したがって、無宗派の方が亡くなった場合は、俗名のままで戒名はありません。

解答 04

戒名は僧侶がお寺様で修行を行い、初めていただけるあの世のお名前で仏様の弟子となった証です。
今ではお亡くなりになった方が、あの世で修行するためにいただく名前として、いただけるようです。

解答 05

受戒し仏門に入るためです。

解答 06

戒名は仏様の弟子になった時に頂く名前です。仏様の教えを信じて決められて事(戒律)を守り、教えに従って生活していきますと誓って授けられた名前を戒名と言うのです。

解答 07

解答 08

僧侶式に葬儀をするためともいわれています。
一説には葬儀そのものが僧侶を送るための儀式であるともいわれています。
葬儀式の流れを見ていると、(通夜式の時が多い)棺・もしくは導師の卓上に大きなカミソリがおかれており、故人様の頭に直接(棺が閉じている場合はお顔の上、空中で)カミソリをあて、「流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者」と導師が唱え、出家式(得度式)がおこなわれています。
これは本来葬式とは「僧侶」を送る儀式なので亡くなられた方を僧侶にして「僧侶式葬送儀礼」を執り行うことから、今のような葬式になった為に戒名が必要ともいわれています。
本来の意味であれば戒名は出家したときにつくものなので、生前でいただくべきものです。これがいつの間にか亡くなった人に付ける名前としての認識が広まったと考えられます。

解答 09

戒名とは、仏様の教えを学び、弟子になった者の証としてもらう名前のことです。仏様の教えを信じて戒律を守り、教えに従って生活していきますと誓って授けられた名前を戒名と言います。本来、戒名は生前に与えられるものですが、時代の経過とともに亡くなった後に与えられるようになりました。

解答 10

仏様のお弟子様になられるからです。

解答 11

受戒し仏門に入った者に授けられる名前です。また死後に浄土で出家して最終的に仏になる浄土思想に基づき死者にも戒名が与えられます。

解答 12

仏教徒である故人を浄土に導き成仏させるためにあの世における名前を付けて仏の弟子になるためといわれています。

解答 13

仏様(お釈迦様)の弟子になったという意味です。

解答 14

本来は戒を受けて仏門に入った者に与えられる名ですので亡くなることによって神様の弟子になった事で名前をつけています。

解答 15

もともと戒名は、仏門に入った人に名付けられ、戒律を守る印として与えらます。
日本では「死後に成仏する」という思想があり、そのために故人に戒名を授けるという風習が生れたのだそうです。

解答 16

葬儀には多大な出費がかかります。残されたご家族にとってその出費が大きな負担になることもあるでしょう。なかでも、戒名を付けてもらう際にはまとまったお布施が必要となります。その戒名に関して疑問に思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。そこで、戒名についてお伝えします。

戒名とは
葬儀の際に位牌の表面に記される戒名は、仏弟子になったことを示しています。死後、あの世で仏弟子として、いくつかの修行が与えられます。最初に行われる修行は執着心を無くすことであり、この世での思い出や過去の出来事の執着を取るという修行を行います。執着を忘れてしまうために、まず自分の名前を忘れなくてはなりません。
そこで、名前の変わりに戒名が与えられるのです。戒名は住職から故人に授けられます。菩提寺がないという人は、葬儀を依頼した僧侶から授けてもらいます。

戒名の意味

院号
戒名の頭の部分に書かれている○○院というところです。本来は、天皇が退位した後に付けられた名前のことです。現在は生前に寺院にお布施や奉仕などで貢献した人、社会的に貢献した人に付けられます。

道号
戒名に上に付けられる名前のことです。戒名の二文字との調和によって付けられ、特技や趣味、地名、性格、業績を讃える言葉の一文字を用いられます。水子や幼児、未成年者には道号は用いられず、童子、童女、幼子、幼女などが付けられます。

位号
戒名の下に付けられます。仏教徒としての位を表しており、性別や年齢、地位によって異なります。

解答 17

人が亡くなって仏様の国に向かうにあたり引導を授けられ、仏弟子になると言われており、御戒名はその為の名前だと言われていますが、今日では御戒名に入れられた文字でその方が生前どんなお方で有ったかが偲べるようになっております、自分のご先祖様になぜこの文字が使われているのかを考えてみるのも、そのご先祖様の事を考え、また思い出すと言う素晴らしい御供養になると思います。

解答 18

戒名は仏弟子として生まれ変わる為の名前であり、仏様の智慧と慈悲の中に永遠の命を受けて導かれる為の大切な名前です。

解答 19

お釈迦様の弟子になったという意味で戒名は付けられます。

解答 20

死者に対して戒名を与える慣習が一般化していますが、戒名は、仏教において、仏門に入った証し、戒律を守るしるしとして与えられる名前です。

解答 21

戒名は浄土真宗では法名といい、宗派によっては法号といいます。僧侶はお亡くなりになった人を葬儀を通じ彼岸へと送り出します。その際に俗名のままでは行けないということで戒名をつけることで送り出します。

解答 22

本来は葬儀をあげられるのは修行をされた仏様のお弟子になった方とされており、それ以外の方の場合お戒名をいただく事で仏様のお弟子になりご葬儀をあげる事ができます。そのためにお戒名をいただきます。

解答 23

仏教信仰からきたもので、僧侶になると極楽に行けるというので、俗人が出家して僧籍に入るには受戒という儀式を行いますが、これが済むと僧名がつけられます。これが戒名です。残された者たちの願いが込められています。

解答 24

受戒し仏門に入った者に授ける名です。

解答 25

本来は仏門に入った者に与えられていました。それが一般の人がなくなったときに与えられるようになりました。

解答 26

本来は仏門に入った者に与えられていました。それが一般の人にも与えられるようになり、仏門に入られたことを意味します。

解答 27

本来ならば、生前に戒を受けて戒名を授かるのが理想ですが、大半の人は亡くなってから戒名を受けます。仏教式の葬儀では当然のことながら仏教僧侶が式を取り仕切り、引導が死者に対して渡されます。
「引導を渡す」といえば「縁切り」の代名詞のように使われていますが、俗世間から浄土へと引き導くことが、引導の本来の意味で、僧侶は亡くなった人を葬儀を通じて仏の世界、すなわち彼岸へと送り出します。仏の世界に往くのに俗名のままでは行けない、ということで死者に戒を授け、戒名を付けることで浄土へと送り出すわけです。

問題352. お墓にお願い事をするのはダメなの?

ベストアンサー

ダメとはいいませんが、お墓はご先祖様に感謝する場所なので、願いをかなえたいという気持ちよりも、亡くなった人への感謝の気持ちで手を合わせるのがいいと思います。そうすればいつでも見守ってくれるでしょう。

その他の解答(26件)

解答 01

ダメとはいいませんが、お墓はご先祖様に感謝する場所なので、願いをかなえたいという気持ちよりも、亡くなった人への感謝の気持ちで手を合わせるのがいいと思います。そうすればいつでも見守ってくれるでしょう。

解答 02

良いことです。故人様は仏様でありご家族をお守りいただいている方です。お願いごとや相談事は快く聞き入れてくれるはずです。

解答 03

いいえ。ダメではありません。ただ、ご先祖様に対する感謝の気持ちも忘れずにお願い事をされるといいでしょう。

解答 04

確かにお墓にお願い事をすると、ご先祖様が心配されるので良くないとお聞きした事があります。
しかし、ご先祖様は見守ってくれているはずですので、前向きなお願いはどうでしょうか。
神社では、毎年初詣に行きお願いしますが正確に言うとお願いではなく決意表明をすることが正解のようです。
これを頑張る・こうしたい・やってみるなどです。
お墓でも同じように前向きにお願いすればご先祖様も喜んでいただけるかと思います。

解答 05

ダメなことはございません。お墓は供養だけでなく心の拠り所としてお参りください。

解答 06

よいことの報告はいいけれどお願い事はしない方がよいと思う。

解答 07

良いです。

解答 08

お墓は謝恩の意味が強いので、願い事ではないという人もいますが、問題ありません。

解答 09

問題ありません。むしろ良いことでしょう。お墓はご先祖様と話す場所です。お墓に入っている大切な方に報告や相談をすることで、前向きな気持ちになれ自身のモチベーションにもつながるでしょう。ご先祖様も私たちが頑張っている姿を見ると応援してくれるはずです。

解答 10

ダメな事はありません。

解答 11

ダメという説もありますが、私は全然かまわないと思います。でもかなわなかった時にご先祖様のせいにしてはいけません。

解答 12

ご供養と一緒に進学就職結婚出産などのお願いや報告をされる方も多くいらっしゃいます。

解答 13

そんなことはありません。

解答 14

かまいません。

解答 15

お墓というより、お墓に入っている方にお願い事をすることはよくあることです。頼まれた方もうれしく思ってくださると思います。

解答 16

大変いいと思います。お願い事や、感謝の報告、なんでもいいと思います。

解答 17

あくまでも家族の幸せや、ご先祖様の菩提を弔う為の御願いならば問題は無いと考えます。

解答 18

厳密に言えば、お墓やご仏壇はお願い事をするところではなく、感謝を伝えるところですが、先祖に守ってほしい、御仏に見守ってほしいという気持ちは自然な感情だと思います。

解答 19

ご先祖に近況を報告したりお願い事をしたりすることはよりご先祖を身近に感じる事が出来ますので良いと思います。

解答 20

良いと思います。

解答 21

お墓は自分のご先祖様に対し日頃の感謝の気持ちを伝え、近況を報告する場です。また、自身の子や孫に先祖祭祀の大切さを伝える場でもあります。そのためお墓の前でお願い事をするものではありません。

解答 22

決まりはございませんので、お客様のお気持ち・お考えでよろしいかと思います。

解答 23

ダメではありませんが、ご先祖様には願い事ではなく報告をしましょう。

解答 24

いいのではないでしょうか。しかし、努力しなければ願いはかないません。

解答 25

かまいません、だいじょうぶです。報告などもされるとよいでしょう。

解答 26

本来お墓はお願いするところではありませんが、お参りしてご供養された後にしてみてもいいかもしれませんね。

解答 27

日頃の報告と一緒にお願い事をするのは悪いことではありません。

問題355. 両隣りのお墓にお供えを上げている人がいるけどなぜ?

ベストアンサー

地域によっての習慣かと思いますが、お墓参りの時に周りの皆様にもお供えをされます。
お参りされる方によっては、お隣の草も引いたりお線香をあげたりされます。
最近ではあまりお見掛けしまくなりましたが、どうしても気になる時は管理事務所にご相談してみて下さい。

その他の解答(26件)

解答 01

両隣に兄弟や親戚のお墓が建っているのではないでしょうか。

解答 02

一族のお墓が建っていると、親類のお墓にもお参りします。もし違う家のお墓だとすると、お参りの時にお知り合いになりお互いにお墓参りをされていることもあります。お参りで知り合った「墓友」ですね。

解答 03

両隣ということで、そのお墓にもお参りされていると言えるでしょう。

解答 04

地域によっての習慣かと思いますが、お墓参りの時に周りの皆様にもお供えをされます。
お参りされる方によっては、お隣の草も引いたりお線香をあげたりされます。
最近ではあまりお見掛けしまくなりましたが、どうしても気になる時は管理事務所にご相談してみて下さい。

解答 05

ご挨拶をしているのだと思います。両隣にお線香をあげる方もいらっしゃいます。

解答 06

近所付き合いで周りの方にも気を遣っているのです。

解答 07

荷物置いてるからとか 知り合いとか お隣さんだからとか。

解答 08

昔は左右前後にお花を供える方が非常に多かったためです。

解答 09

理由はわかりませんが、ご近所づきあいのようなものではないでしょうか。隣のお墓のご先祖様に「うちのご先祖様がお世話になっています。よろしくお願いします。」といったお気持ちなのではないかと思います。

解答 10

使用者の皆様にはご協力いただいておりますがご親戚様、知人の方でご存じなくお供えされていることもあるかもわからないです。

解答 11

挨拶みたいなものです。ただし、お線香は無くなってしまいますからOKですが、お供え物はおすそ分け程度にしておくべきです。

解答 12

線香を一本立てて騒々しくしてしまい申し訳ありませんという気配りです。

解答 13

御挨拶の代わりだと思います。

解答 14

ご近所にご挨拶の意味合いでされる方もおられます。

解答 15

人によっては、そうやって善を積む人もいるかもしれません。また、隣同士のよしみで挙げているのかもしれません。もしくは、何か関係がある方なのかもしれません。
お供えはお持ち帰りになられるのなら、特に問題はないかと思います。

解答 16

お気持ちはわかりませんが、租裾分けのつもりなのでしょうか?身内のお墓以外あまり触らない方良いです。そのうちの方たちが困惑されると思いますし、根本的にお供え物は持ち帰るものなので、もしかしたら遠い親戚かもしれませんね。

解答 17

地方やお家によっては引っ越しをした時にご近所様に御挨拶をする様にお墓参りに来られた時に両隣りにお供えをされる方がいらっしゃいます、一種のお徳積みと思われます。

解答 18

お参りの作法で、両隣のお墓にもお参りするのがよいとされています。

解答 19

お墓参りのマナーとして無縁仏や両隣のお墓にも手を合わせる事が良いと言われることがあります。

解答 20

お家と同じような考えで、ご近所様にご挨拶的な意味だと思います。

解答 21

ご親戚同士で隣のお墓を一緒に建立された方ではないでしょうか。ご自身の叔父や叔母が両隣のお墓に眠っているため一緒にお墓参りをしているのかもしれません。

解答 22

それぞれのお墓に対してのその方のお気持ちの表れかと思います。

解答 23

ご先祖様を供養するためお供えしています。

解答 24

親切心だと思いますが、それが良いことかどうかはそれぞれの考え方ですね。

解答 25

お参りに来て、お隣りへのご挨拶です。

解答 26

ご近所への挨拶のためにされています。

解答 27

地域によっては、両隣、もしくは向こう三軒両隣のお墓にもお供えをしますがお墓の周りを清める効果があると言われています。