よくある質問をカテゴリー別に掲載しております。
458. お彼岸って何ですか?
彼岸とは、仏教用語であの世を意味しており、私たちが住む世界を此岸としています。
春分、秋分の日を中日に7日間を年2回行われます。
その理由は、春分、秋分の日は、昼と夜の長さがほぼ同じで、太陽が真東から昇り真西へ沈む日だからだそうです。仏教による「極楽浄土は西にある」という教えから、太陽が最も西に沈む春分・秋分の日は、あの世とこの世が最も近付く日とされ、先祖供養を行うのに良いとされている行事です。
469. お墓にお供えする花は造花でもいいのですか?
どちらかと言えば生花の方が望ましいですが、夏本番の時期であったりお墓が遠方の為、滅多にお墓参りに行けない場合については、生花が枯れて汚れた状態が続くくらいならば造花でも良いと思います。
470. お墓にお酒をかけてもいいの?
故人がお酒が好きだった方なら、かけたくなるお気持ちは分かりますが、おやめになるべきと思います。お酒を捧げたいなら器に入れてお供えしてあげるのが故人も喜んでいただいてくださると思います(ただしお供え後は飲むか処分するかしてお墓に置きっぱなしはやめましょう)。また、お墓のアルコール分が石の目に入り込み、石の変色やシミ・カビの原因になりますから、そういった意味でもおやめになるべきです。
474. 納骨するときは骨壺のまま入れるのですか?
霊園や地域によって異なります。
関西では骨つぼからお骨を取り出しサラシの袋にお骨を移してからご納骨致しますが、東京・博多などは骨つぼのまま納骨するのが一般的です。
骨つぼでご納骨された場合でも、将来はつぼからお骨を出しお墓の下にあるお土にお骨を移しますので、お土に帰るのは同じようです。
475. お墓の魂入れの時のお布施の相場はいくらですか?
お布施は地域や各お寺の考え方、お寺との付き合いの深さによっても変わるものです。一般的には、お経代が3万円にお車代とお膳代を足したものをお渡しするのが相場と考えられています。
477. なぜお墓に水をかけるの?
お墓に水をかけるという行為は、仏教的な意味が関係しています。
宗旨宗派にもよりますが仏教では人は亡くなられたあと、6つの世界を輪廻(りんね)すると言われてます。
その6つの世界の中の餓鬼界(がきかい)という世界にはお水がないため、ご先祖様が喉が渇いて苦しまれているのをお水をかける事で、少しでも渇きから救う行為とされてます。
478. なぜお彼岸にお墓参りするの?
仏様、亡くなった方が行く場所である彼岸は西にあるとされています。
私たちのいる現世、つまり此岸(しがん)は東にあるとされています。
まず、春分の日と秋分の日は、太陽が真東から昇り、真西に沈みます。
西には彼岸、東に此岸です。
太陽が真東から真西に沈む春分の日と秋分の日は、昼と夜の長さがほぼ同じとなります。
この昼と夜の長さがほぼ同じであり、太陽が真東から真西に沈むこの日こそ、あの世(彼岸)とこの世(此岸)が最も近くなり、最も通じやすくなると考えられているからです。
そのため、お彼岸の時期はお墓参りでお墓に向かいご先祖様を供養し、故人を偲び、自分もやがては同じ場所(彼岸)へ行けるように祈る風習が続いているようです。
479. なぜお線香は息を吹いて消してはいけないの?
人間の口は、身体・意識とともに「身口意」と言われ、人間の全ての悪い行動はこの3つのうちどれかから生まれると言われています。
つまり、口は悪い行動を生み出す原因だと考えられ、汚らわしいものだと考えられているのです。
そのため、神聖な線香の火を汚らわしい口から出た息で消すのは無作法、ということになるのです。
494. なんでお盆にお墓参りするの?
日本ではお盆に帰ってくるといわれているからです。
お盆になると一般的にご先祖様が帰ってくるといわれています。その際にお墓に皆様が迎えに行き、ご自宅に連れて帰るといわれています。ある地域では、お墓の火を提灯に移し、自宅の置き型の盆提灯に移すなんて習慣もありました。ですから順番としては、お墓参り後自宅法要になります。地域によっては提灯の代わりに「鬼灯(ほおずき)」を供えたり持ち帰ったりしたようです。
お盆が終わると玄関先にて火を焚き、「送り火」として、ご先祖様にお帰り頂く習慣となりました。それがいつしかお墓参りの期間になったといわれています。
495. なんでお彼岸にお墓参りするの?
お彼岸は春分の日と秋分の日のそれぞれ前後3日間の時期に行なわれます。
ご存知のように、春分と秋分は昼と夜の長さが同じになる日です。
このことから、この世とあの世が接する日だと昔から考えられていました。
そして、その時期は真西に太陽が沈むことから、真西にある西方極楽浄土におられるご先祖様を偲び、今自分が生きていることを感謝し、日々の生活を反省し供養を行なうことが約1000年もの昔から慣習として行なわれているのです。
なお、これは仏教を信じる他国にはなく、日本独自の風習です。